応援がプレッシャーだと感じた時は見方を変えて脱応援恐怖症
受験や仕事などで、応援される機会たくさんあると思います。「応援されるとプレッシャーを感じてしまう」ことが多いわたし。
プレッシャーを感じるとヘンに力んでしまい、緊張やストレスに負けてしまう。考えがまとまらない。思うように事を進めることができず、失敗してしまう。
そんな経験がとても多いです。
応援してもらえるのはとても嬉しい。
応援してもらえることはとても嬉しい。がんばって成功して、応援してくれた人に喜んでもらいたい。チャレンジ成功して、自分に自信をもちたい。幸せになりたい。
だけど、プレッシャーを感じるから応援されたくない。。。複雑な心境。決して、自分の失敗を他人のせいにしようと思っているわけではないのだけど。だからこそ、プレッシャーに弱い自分が本当に情けなくなる。
期待に応えられなくてごめんなさい
プレッシャーに負け続けて、何かにチャレンジすることが、どんどん、怖くなってしまった自分。
新しいことや興味のあることに挑戦したい気持ちはある。
けれど、応援してもらえたのに、応援がプレッシャーになり、失敗するのが怖い。前に進めない。進みたくない。
そもそも「プレッシャーになるので応援しないでください」と言えるはずもない。
こういうの「言い訳するな!」とか「逃げるな!」とか「人のせいにするな!」「被害者ヅラするな!」「失敗したって良いじゃない!」とか、思われているんだろうなあ。はあ、ツラい。
応援恐怖症を克服できそう
応援がプレッシャーに感じてしまう人は、こちらのツイートを見て。
プレッシャーにならない応援をしたい人にも、このツイート、みてほしい。
応援を「裏切れない」と自分自身を縛らないでほしい。
わたしは、
・国際協力の一歩を踏み出そうとする人
・NGOやNPOを起業して頑張っている人
を超絶応援、支援しています。でも、「応援」の「恐ろしさ」も感じている。
私の応援は、「成功してね」ではない。
あなたらしく生きてね、の応援です。— 門田瑠衣子@エイズ孤児支援NGO・PLAS代表 (@Rui_Plas) 2018年5月25日
長年悩んでいた、応援恐怖症をやっと克服できそうなヒント、もうひとつ。
「応援してたのに!裏切られた!」とか騒ぎ出す依存的な人とは、距離を置きたいですね。
「応援」ということばは、ときに呪いとしても使われる。— イケハヤ (@IHayato) 2018年5月25日
応援する側の想いを知る。
応援されることで苦しい思いばかり経験してきたので、なかなか別の視点で物事を考えることができなかった。
見方を変えることは、こんなにも大事。
応援してくれた人を、裏切れない・裏切りたくない気持ちが、プレッシャーの原因だったのかも。
門田瑠衣子さん・イケダハヤトさん、お二人のツイートを知れてよかった。
お二人のツイートは、プレッシャーにならない応援をしたい人のヒントにもなると、思っています。
「応援してあげてたのに…」
イケハヤさんの『依存』という言葉もとても参考になりました。
門田さんの言うとおり、応援というのは「あなたらしく生きてね」という、ある意味で突き放した感情であるべきです。
自分とは関係がない他人ですから、コントロールすることはできませんからね。彼らがどうなろうと、知ったこっちゃないのです。
「応援」という呪い。
応援する人も、される人も、「応援」をプレッシャーに感じるほど大げさに受け止める必要はない。
もっと、軽く。軽い気持ちで、受け止めていいんだ。
「応援してあげてたのに…」という人とは、距離を置いて、良い。
物事を成し遂げられなかったときに、「応援してあげてたのに…」と感じた応援は、知らず知らずのうちに相手に、プレッシャーになる応援の仕方だったんだ。
実際には、わたしが誰かを応援して、「応援してあげてたのに…」と感じた経験はない。
けれど、わたしも誰かを応援するときには、プレッシャーにならない・依存的な応援のしかたをしないよう、これからも気をつけよう。
まとめ
1.応援してもらいたくない→応援は、『あなたらしく生きてね』の意味。プレッシャーを感じたり、失敗して情けない気持ちになる必要はない。
2.「応援してあげてたのに…」という人とは、距離を置いて、良い。依存されない、わたしになるのが幸せ。
お二人のツイートのおかげで、今まで応援してくれた人たちに対して、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
これからは、応援してもらった時すぐに「ありがとう」と、自信をもって言える自分がいます。
「応援」という善意に便乗して悪意を振りまく人もいるかもしれないけれど、そういう人は相手にしなくて良いんだ。
スッキリ!
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